由来と歴史
当山は弘仁元年(810)に創建された真言宗の旧跡として、稲荷山威光寺と称しましたが、正嘉元年(1257)に宗祖日蓮聖人の弟子で中老僧の一人である日源上人が日蓮宗に改宗し、威光山法明寺と山号を改めました。
『東鑑』第1巻に「武蔵国威光寺者。依為源家数代御祈祷所。院主僧増円い相承之僧坊寺領。如元被奉免之」云々とあり、その古い歴史を物語っています。以来、伝灯五十世、約700年の歴史を刻んでまいりました。
徳川時代には、徳川3代将軍・家光公より御朱印を受け、代々将軍家の尊崇を受け、多くの寄進を受けています。
24世日宏上人の代には、内大臣西園寺公晃鄕より、緋紋白袈裟と乗輿(じょうよ)等の寄進を受け、宗門弘通の道場として耳目を集めました。
大正12年(1923)9月1日、関東大震災で本堂が倒壊し、第46世一妙院日龍上人により昭和7年(1932)に再興されました。しかし昭和20年(1945)5月の戦災により全山焼失、鬼子母神堂だけ被災を免れました。戦後、第47世一味院日厚上人が法明寺再建に着手し、昭和34年(1959)に現在の本堂を再建しました。その後、法燈を継承した第48世一厚院日悠上人が、山門、鐘楼を再建して寺内の偉容を旧に復しました。