御会式連合会

御会式開催日
毎年10月17日・18日に万灯練供養が行われます。

御会式(おえしき)とは日蓮聖人の忌日の法会のことです。

現在、威光山法明寺、雑司ヶ谷鬼子母神堂では10月16日から18日の夜に万灯練供養(まんどうねりくよう)が行われており、見物人をあわせると、約30万人の人出があります。

雑司ヶ谷鬼子母神堂の万灯練供養の歴史は古く、江戸時代に遡ります。寛政7年(1795)に成立したとされる高井蘭山の『雑司谷詣』には、境内の飾り物が派手であったこと、日蓮聖人在世の頃の危難の様子を再現した出し物が、女性や子どもの目を喜ばせていたことが記されています。津田敬順の『遊歴雑記』(1812年から1829年)や岡山鳥の『江戸名所遊覧花暦』(1827年)にも境内の賑わいが記されており、御会式は老若男女が集う行事として雑司が谷に根付き、守られてきました。

第二次世界大戦前の大正時代、昭和初期の御会式については、昭和52年(1977)に豊島区編纂委員会より刊行された『豊島区民俗資料調査報告書』に記述があります。「鬼子母神では、以前は10月8日から23日まで法要が行われた。この期間は境内に見世物や露天商が出てにぎやかであった。特に12日から18日までの間は万燈供養といって、この期間には、万燈を持って太鼓をたたいて鬼子母神にお参りに来る人が多かった。最後の18日の夜には、万燈を持った人々が護国寺に集まって、夜の7時から椿山荘の前を通って鬼子母神まで行列をつくってお参りしたが、これは夜中の2時頃まで続いた。この際の万燈は多い時には120本ほどもあったという。現在は15日から18日までがお会式である。最後の18日には7~8本の万燈を立てて目白台あたりをねり歩いている。」とあり、江戸時代と変わらぬ活気があったことが想像できます。

昭和16年(1941)から昭和24年(1949)までは戦中、戦後の混乱期で練供養は中止されましたが、昭和25年(1950)に、第48世一厚院日悠上人を中心に雑司が谷の人々が集まり、御会式復興会が結成されました。戦後の資金と物流の不足が問題となり、それぞれの協力によって地元講社2つ、万灯は3基のみで再開された練供養でしたが、年を重ねるごとに数を増し、現在は地元講社・遠方講社あわせて50本の万灯と約4千人の人々が行列に参加し、ケヤキ並木から境内にかけて120ほどの露店が軒を連ねています。

平成26年(2014)12月18日に日本ユネスコ協会連盟主催の未来遺産プロジェクトに、雑司が谷の歴史と文化が選出され、雑司ヶ谷鬼子母神御会式万灯練供養が豊島区の無形民俗文化財(風俗習慣)の指定を受けました。

江戸時代から続く無形民俗文化財に触れてみてはいかがでしょうか。

どなたでもご参加できます。練供養行列に個人でご参加をご希望の方は御会式連合会(03-3982-8347)までお問い合わせください。遠方講社でご参加をご希望の方は鬼子母神堂寺務所までお問い合わせください。

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