境内のご案内
雑司ヶ谷鬼子母神堂にまつる鬼子母神像は永禄4年(1561)1月16日、雑司が谷領主柳下若狭守の家臣、山村丹右衛門が清土の畦より掘り出し、星の井(清土鬼子母神の境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、鬼子母神堂の塔中(たっちゅう)東陽坊におさめました。
鬼子母神出現所については『江戸名所図絵』にも記述があり、挿絵には「清土 星の清土 雑司谷鬼子母神の出現ありし地なり七本杉といえるは一根にして七つに分かれたり」とあります。『江戸名所図会』では、鳥居の側で鳥を捕る親子が描かれており、この鳥居が現在の正面入口となります。
現在、境内には吉祥天像と弁財天像があります。吉祥天は鬼子母神を母にもち、毘沙門天の妃とも言われ、福徳安楽を与える天女として信仰されています。雑司が谷七福神の一人となっています。
弁財天像の側に石の手水鉢があり、「貞享」「五月」という文字が確認できます。『櫨楓』には「貞享五年五月 能生院妙安尼」と刻んだ手水鉢があると記録されています。吉祥天像の前には文化9年(1812)9月に金子直徳が建てた涼月塚があり、松尾芭蕉の「此道に出て涼しさよ松の月」と刻まれています。
境内入口には百度石と道標があり、百度石には「清土 出現 昭和五年」、道標には「是の右 ミのぶ山 ひながた七面宮 きしも神出現所 道 当村清土講中再建之 文政六年 癸未正月吉辰」と刻まれています。
毎年10月16日から18日まで行われる宗祖報恩練供養「御会式」では、10月17日の出発地となっています。